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3月度/町会役員会と食事会

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3月度の町会役員会が例によって盛大に開催された。


今回の議題は主に「浅草神社本社神輿本堂堂上げ・堂下げ」。我輩の場合、3月29日も30日も参加は不可である。それにくわえ30日には夕方から芝増上寺隣のレストランで町会行事としての夕食会・・・辛いところだなあ。
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「浅草神社本社神輿本堂堂上げ・堂下げ」
場所 : 浅草寺境内および浅草神社境内
平成20年3月29日(土)午後6時〜午後7時30分
平成20年3月30日(日)午前10時30分〜午後4時
[ 浅草観光連盟Webサイトより ] ↓
「浅草寺本尊示現会」は、推古天皇三六年(西暦六二八年)三月十八日の早朝、檜前浜成・竹成の兄弟が江戸浦(隅田川下流の宮戸川)で漁をしていたところ、一体の仏像を投網の中に発見し、土師真中知がこれを拝して聖観世音菩薩の尊像であることを知り、従者と共に槐(えんじゅ)の木の切り株に尊像を安置したという「浅草寺縁起」に基づいた行事です。同縁起によれば、その後一夜にして「あかざの草堂」が築かれ、十人の子供の手により尊像は草堂に安置されており、これが浅草寺の創始であると伝えられており、従って「浅草寺本尊示現会」は浅草の町の誕生を祝う行事として行われていました。
 また江戸時代までは「三社祭」と一体の行事として神輿の渡御と併せて執り行われていましたが、明治維新以降は神仏分離令によって「三社祭」は五月に行われることになり、右記のような「浅草寺本尊示現会」の本来の意味が見失われがちになって参りました。私達浅草に根付く者と致しましても、この「浅草寺本尊示現会」が一層賑わうように図ることは長年の懸案となっており、平成十二年「古式三社祭舟渡御」の一部として再現させることにより、広く内外に浅草の生誕の歴史を広め、ひいては浅草の町の更なる発展を目指すものとして実施し、毎年3月に開催しています。



さて、役員会後は恒例の食事会でR。本日はもと「キクタ」のあった場所に昨年11月位に開店した「幸丸」、鮪を喰わせる店のよーでありまつな。
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突出しの他にサービスということで珍味3種[鮪胃袋煮物/鮪子/鮪胃袋の味噌和え]。プレミアムモルツだというから珍しく中ジョッキ一杯飲み干しますた。本日の酒の流れは プレミアムモルツ→芋焼酎の水割り→白雪熱燗→白鹿常温でありますた。


結構ボリュームある持てなしでありますた。煮魚は身崩れ寸前の柔らかさで合格。お造りは並。鮪尾身のステーキは良かったでつな。
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鮪の天婦羅は初めて食しますたがヒレカツのよーな食感でありまつ。サラダほうれん草のパリパリサラダをはさんで、〆は寿司ですた。初っ端のプレミアムモルツの一気呑みが効いたのか後半戦はあまり呑めませんですた。弱くなったなあ。
来週は町会60年周年記念誌作成の会議でR。


by anton_ms | 2008-03-11 22:55 | 日々の暮らしについて
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あのとき掲げた僕らの旗だけが 今も揺れている時の風の中で(the flag)


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